メディアを立ち上げた理由と、私が生きる理由と

メディアを立ち上げた理由と、私が生きる理由と
はじめまして、卯月りんです。
最近、「どうして日本酒のメディアを立ち上げようと思ったんですか?」と聞かれることが多くなったので、「酒小町」を立ち上げた理由を書いてみました。どんなメディアなのかについては、こちらの記事で一通り書いてみました。
ここでは、どんなきっかけから、どのように日本酒のメディアを立ち上げたのかお話させてください。
自分が心から好きなものを、届けるべき人に届けたい
もともと、私はいち企業で広報として働いていました。業務内容は、自社のプレスリリースや、販促資料の統一、Webサイトの刷新など。
それなりに充実していましたが、いち会社員として広報を続けるうちに”したいこと”ができました。それは「自分が心から好きなものを、届けるべき人に届ける」ことです。
毎日自社サービスの発信に頭を悩ませていたのですが、ターゲットがあまりWebを見ない層ということもあり、会社で指示されていた露出媒体は雑誌や新聞掲載でした。その中で、掲載された記事は実績にはなりますが、検索してヒットする訳でもなく、記事としてシェアされる訳でもありません。
今後は、拡散性があり、成果が残り続けるWebの方が強くなる。その想いを伝えつつも、中々分かってもらえないまま業務を続けていました。
そのうち、会社という枠を超えて、自分だったら何を発信したいだろう。どんな動きで、どんな題材がいいんだろう、と頭を巡らせるようになりました。
今まで人生でいちばん自分がお金と時間をつぎ込んだものが君の天職
何かを発信するなら、自分が心から好きなものがいい。そう思いながら日々業務に勤しんでいた所、丁度Twitterで流れてきたツイートが、「今まで人生でいちばん自分がお金と時間をつぎ込んだものに携わる仕事をするのが君の天職」というものでした。
二十歳前後の時、今も尊敬してる人に「今まで人生でいちばん自分がお金をつぎ込んだものに携わる仕事をするのが君の天職だよ」って言われたんだけどきっとこれは正しいので人生に迷った時の選択肢の一つにお使い下さい。
— あのタピオカ(あの佐々岡) (@anosasaoka) 2017年10月29日
そこで今までの私の人生を振り返った結果、でた答えは「飲み代」でした。
真剣に読んでいたのがばかみたいって思ってしまったら、ごめんなさい(笑)。
でも、今までの人生でつぎ込んだものを計算したら「飲み代=交際費」が大半をしめていたのです。
一人っ子で、家にいるより外出している方が性に合っていたこと、人と話すことが好きなこと、誘われたらフットワークが軽いのでどこでも出かけていくこと。さまざまな要因が相乗効果となり、最多ペースで週に8日は飲んでいました。(あの時私は時をかけていた…)
それなら、自分の費やしたお酒関係で、純粋に広めていきたいものはなんだろう。と考えて、行き着いたのが「日本酒」でした。
日本酒という名の底知れない魅力
小さい頃から炭酸が苦手だった私は、お酒が飲める年齢になっても、ビール、サワー、ハイボールなど炭酸が入っているものはあまり飲めませんでした。なので、その時一番体に合って、おいしいと思っていた日本酒をよく飲んでいました。
その頃、日本酒を飲んでいる人が周りにあまりいなかったこともあり、日本酒が好きな子というだけでさまざまなお酒の場に誘ってもらえるようになりました。年が離れている方とも、日本酒という共通の話題で話がはずむことがあったり。人が好きでお酒が好き。いままでの人との繋がりは、ほぼお酒の席で成り立っていた私は、日本酒のおかげで今の人生があるといっても過言ではありませんでした。
日本酒は、日本を代表している国酒でもある。各地方に酒蔵があって、地域復興にも貢献できそう。そういえばテレビで日本酒だけは、あまりCMを見たことがない。広報のスポットが当てられていないのなら、私でも少しは役に立つだろうか。
そう思って、まずはSNSから発信活動をはじめたところ、日本酒を通じてたくさんの方に出会うことができました。自分の生まれた土地で日本酒を造る人、まったく違う職種から日本酒に魅せられて日本酒を造るようになった人。造り手の方も飲み手の方も、みんな魅力的で優しい方ばかり。やっぱり日本酒っていいな、と感じる一方で、日本酒業界の現実も知りました。
日本全国の酒蔵が抱える問題
- 4,000蔵から1,500蔵に、酒蔵の数は年々減り続けていること
・この30年の間に800蔵が姿を消している
・日本酒の製造免許が新たに交付される事はほぼない
・そのために、新しい酒蔵は立ち上げはほぼ不可能
- 酒蔵の多くが家族だけの経営で、跡継ぎ問題や人手不足に悩まされていること
・杜氏と社長を一人で兼任しているなど、一人ひとりの負担が大きい
・お酒造りの時期はつきっきりだから企画や販促、PRに時間をうまくさけない
おいしい、たのしい日本酒。それだけでは済まない状況を目の当たりにし、それなら私ができる範囲だけでも変えていくことはできないか。そう感じてから、Webでも、直接会った人にも、その想いを伝える毎日でした。
言葉にする、仲間ができる、掛け合わせる
”自分の持てる力を、日本酒業界に貢献したい”。そんな大それた想いを掲げてはいましたが、話すたびに思うことが、自分一人ではできることが限られているということでした。
イベントを企画しても、一人なので対応しきれる人数は10人が限界。会場も同じような規模でしかできない。ブログを立ち上げても、更新するのは私だけ。一人でできる範囲は思ったより、狭くて少ないな…。そう思いながらも、日本酒をもっと広めていきたい、各地域に根付く酒蔵がこれ以上減ってほしくない。そんな想いで発信し続けていた頃に、力になりたいと言ってくれる人が現れたんです。そして、一人、そしてまた一人と。思いを伝えるごとに、どんどんその輪が大きくなっていって。こんな夢みたいなことがあるのだろうかと、何度も目を疑いました。
好きなことを、仕事に
力になりたいと言ってくれた人は、みんなそれぞれ、”好きなことを仕事にしている” という共通点がありました。人を撮ることが好きでカメラマンとして道のりを歩んでいる子、グラフィック、空間装飾、コミュニティデザインなど、マルチにデザインを手がけている子、人の想いや物語をことばで届けるコピーライターをしている子。そして私は昔はいち企業の広報でしたが、今はこの活動にもっと力をいれるべく現役PRプランナーとして働きながら、個人でも案件を受け持っているマルチプレイヤーでもあります。みんな、個性や自分のスタイルを大切にするクリエイターばかり。そして全員が女性で、日本酒が大好き!
集まってくれた人たちの力を合わせたら、一人では実現することのできない、大きなことができるのではないだろうか。みんなの得意分野を掛け合わせることでもっといいものが生まれるのではないだろうか。そうして立ち上げたのが、この酒小町というメディアです。
私は、この酒小町というメディアで、アートや雑貨、食卓、場所、旅など、さまざまなクリエイターの得意分野と日本酒をかけあわせた新しい情報発信の場をつくりたいと思っています。
違うジャンルのものを掛け合わせるだけで、可能性が2倍にも3倍になる。大それたことかもしれませんが、私たちのこの思い、この行動が、ほんの少しでも日本酒業界の未来を救う一旦になれば幸いです。