航空整備士から、寒菊銘醸での酒造りの道へ。25歳の若者が転身を決めた理由
杜氏に聞くお酒造りの物語 柳下祐亮さん(前編)
千葉県の九十九里で130年以上にわたって日本酒造りを続けられてきた老舗の酒蔵、寒菊銘醸をご存知でしょうか?
寒菊は、近年のクラフトビールブームが起こる前、1997年からクラフトビール事業を手がけるなど、老舗でありながら常に挑戦し続けている酒蔵の一つです。今年から東京市場での販売もスタートし、また一つ大きく生まれ変わろうとしています。
そんな寒菊の杜氏を務めるのは、若干30歳という若さも目立つことさながら、元航空整備士という異色のバックボーンをお持ちの柳下祐亮さん。今回はその柳下さんにお話を伺い、なぜ、全くの異業界からお酒造りの道へと足を踏み入れたのかや、常に新しい挑戦をし続ける寒菊銘醸についてご紹介します。
普段はなかなかお話することのできないお酒造りのプロにお会いして、お酒造りへの想いや物語をお聞きする酒小町の本インタビュー企画。日本酒通でもなかなか知らないここだけのお話を、初心者でもわかりやすく楽しめる文章でお届けしていきます、どうぞお酒のおともにご覧ください。
日本酒を“ブランド名で選ぶお酒”から、“幅広い味わいを手軽に楽しむお酒”に
ーー初めまして、酒小町の金子と申します。卯月とはすでに面識があると伺っていますが、改めて寒菊銘醸がどんな酒蔵なのかを教えてください。
柳下さん(以下、敬称略):寒菊銘醸は、千葉の九十九里海岸にほど近いこの場所で明治16年に創業した酒蔵です。
創業当時は地域密着型の酒蔵でしたが、4代目当主である現在の佐瀬社長の父親が、低アルコール化に合わせてクラフトビール事業も始めました。これが、『九十九里オーシャンビール』です。年々出荷量が増え、今では90キロリットルを超える量となっていて、海外6ヶ国で販売しています。
また、今年から本格的な東京市場への進出も始まり、より多くのお客さんに寒菊のお酒を飲んでいただける機会が増えてきました。
ーー日本酒も『九十九里オーシャンビール』も、どれもすごくおいしかったです!老舗酒蔵でありながら、さまざまな挑戦をされている寒菊銘醸ですが、日頃どんな想いでお酒造りをされているのでしょうか?
柳下:“心を満たす酒造りで、人と未来をつなぐ”ために“革心”、“安心”、“真心”の三つの心を大切にしています。
会社の上司に「有名な日本酒だから」とブランド名だけで飲まされるようなお酒ではなくて、自分で選んで幅広い味わいを楽しむお酒造りを目指しています。
夢だった、飛行機に携わる仕事。夜勤続きの毎日の末に下した決断とは
ーー“心を満たす酒造り”、素敵です!そんな寒菊銘醸に入社する前は、柳下さんは飛行機の整備士をされていたとか。当時のことについて、教えていただけますか?
柳下:子どもの頃、実はパイロットになりかったんです。高校生になって友人から航空整備士という職業があることを知って、卒業後は航空整備士の専門学校へ進学しました。
とにかく飛行機に関わる仕事をできたらいいなと、思っていたので。それで卒業後はJALに入社して、4年くらい成田空港で整備士をやっていました。
ーー航空整備士だった方がお酒造りをしているなんて、なかなか聞かないですね。当時は、航空整備士として具体的にはどんなお仕事をされていたんですか?
柳下:車でいう車検の時の、整備士のような仕事をしていました。格納庫に飛行機が入ってきたら細かくばらして整備して、異常がなければまた元通りに組み立てて、という仕事です。
仕事自体は、楽しかったんです。でも、4年もいれば飛行機も見飽きてしまって(笑)。あとは、夜勤もあったのでけっこう大変な仕事でした。
ーーそれが、転職を考えるきっかけだったんでしょうか?
柳下:それもありますが、羽田空港がどんどん盛り上がっている時期で、成田空港は過疎化が進んでいた状態だったので、僕たち航空整備士も羽田に行かなければならないという話がありました。
でも、僕は子どもの頃から慣れ親しんだこの千葉を出たくなかったんです。当時は、サーフィンにもはまっていたので。それでJALを退職して、寒菊銘醸に入社することになりました。
大手航空会社から、小さな酒蔵へ転身。自分にしかできないことをしたいと思った
ーーとはいえ、千葉県内で夜勤のないお仕事なら他にもあったと思います。なぜ、柳下さんはお酒造りの道を選ばれたんですか?
柳下:結局、大手の会社は一人くらい辞めたとしても何も変わらないじゃないですか。成田に勤務する航空整備士は当時、JALだけでも600人とかいたので、僕が辞めたところで何も変わらないんです。
JALが経営破綻したあの日も、普通に飛行機は飛んでいたし、僕たち整備士もいつもと同じように仕事をしていた。そのうちに、もっと自分がいなくなったら困る仕事、自分にしかできない仕事をしたいと思うようになったんです。
そんな時に妻が、「こんな求人があるよ」と寒菊銘醸のビール醸造の求人広告を見つけてくれて。「おもしろそう!」という感じで、勢いで入社しましたね。
ーー当初は日本酒ではなく、ビール造りの従業員としての採用だったんですね。その当時から、いつかは日本酒造りに携わりたいと思っていたんでしょうか?
柳下:そうですね。ビールも好きですが、昔から日本酒造りにはけっこう興味があって、おもしろそうだなと思っていたんです。
それに、杜氏は一つの蔵に、せいぜい一人。世界中を見ても、数多くいる職業ではないですよね。そんな仕事ができたら、おもしろそうだなと思ったんです。
体験入社をした時にも、社長の佐瀬に「そのうち酒造りの方にも入って、杜氏とかもやってみたいんですよね」なんて、話したくらい。社長が「いいんじゃない?」みたいに言っていたんですけど、本人は覚えてないみたいです(笑)。
ーーそうだったんですね(笑)、そういう意味では今のお仕事と航空整備士のお仕事は真逆とも言えるのかもしれませんね。柳下さん、貴重なお話をありがとうございました。
“自分にしかできないことを”という想いで、思い切って航空整備士を辞めて寒菊銘醸へ入社した柳下さん。後編では、柳下さんが寒菊銘醸に入社してから杜氏になるまでの道のりをご紹介していきます。
どうぞ、お楽しみに。
杜氏に聞くお酒造りの物語 (後編)はこちら
企画協力
合資会社 寒菊銘醸
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電話番号:0479-86-3050
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