この業界をもっと面白くしたい。24歳で酒蔵のM&Aに踏み切った最年少の杜氏の熱い取り組み

日本酒の造り手のインタビューを連載で続けている酒小町ですが、今回は新潟県の佐渡ヶ島にある天領盃酒造の蔵人、加登仙一さんにお話を伺いました。

豊かな自然の中にある天領盃酒造は、自然と共存しながらも日本で初めて酒造りの場に機械を導入するなど新しい挑戦を続けてきた酒蔵です。

しかし、跡継ぎがおらずこのままでは廃業の選択しかないという中、加登さんが当時24歳という若さで酒蔵をM&Aし、酒蔵としての新たなスタート地点に立つことになりました。

なぜ、その若さで酒蔵をM&Aし、お酒造りの道へと足を踏み入れたのか、そして今後新しく挑戦したいことをお聞きしました。

東京の証券会社から、新潟佐渡島の酒蔵をM&A

ーーはじめまして、酒小町の卯月です。

加登さんは昨年初めて酒蔵に入り、現在26歳で日本最年少の蔵人とのことですが、もともと酒蔵が実家…というわけではないですよね。

加登:私はもともと、東京の証券会社に勤めていました。酒蔵に入るきっかけは、証券会社時代のお客さまから後継ぎのいない酒蔵があることを教えてもらったことです。今の日本では、日本酒を造るには新規免許がほぼ下りないですし、自分たちでお酒を造るにはどこかの酒蔵をM&Aするしかなかった。跡継ぎのいない酒蔵の話をもらってから、M&Aを決めるまでは早かったですね。

留学先のスイスで、日本文化や伝統を語れなかったことが悔しかった

ーーその若さで酒蔵をM&Aされたとは驚きです!

なぜ選んだ先が日本酒業界だったんですか?

加登:日本酒に興味をもったのは、大学時代にスイスに留学をしていて、現地での飲み会に参加したこときっかけでした。

留学生の学生寮で行われたふつうの飲み会だったんですが、集まった各国の学生たちが自国のお国自慢で盛り上がっていました。

「フランスのワインが世界で一番うまい」「いや、イタリアのワインだ」「何を言ってるんだ、テキーラが世界一に決まってるだろ」といった感じで。

僕はその時笑って聞いていたんですが、その中の友人の一人に「日本にはSAKEがあるらしいじゃないか、味はどうなんだ」と言われたんです。その時に僕は、なにも答えることができなかったんです。自分と同じ立場の各国の学生たちが、自国が一番だと語り合っている中、僕だけが自分の生まれ育った国の文化を語ることができなかった。

悔しさと恥ずかしさが込み上げてきて、それから自国の文化や伝統について猛勉強し始めました。その中で一番興味を持ったものが、日本酒でした。

国酒である日本酒のイメージを文化ごと変えたかった

ーーまさか海外での経験が、日本酒に興味をもつきっかけになるとは。とはいえ、数ある日本文化の中でもなぜ”日本酒”を選んだのですか?

加登:留学先では特に、ワイン文化圏の学生が多かったんです。日本文化の一つである日本酒を調べていくうちに「並行複発酵」など日本酒をつくる工程の方がワインより複雑な技術を使っていることを知りました。それなのに日本では日本酒のイメージが古臭いお酒、罰ゲームの時に飲まされるお酒など、あまりよいイメージがありませんでした。その事実がとてももったいないなと感じ、将来は日本酒に関わる仕事に就きたいと考えるようになりました。

ーーあまりよいイメージを持たれていない日本酒の文化ごとなんとかしたいという思いが、日本酒を仕事にする原動力になったんですね。

加登:そうですね。日本酒の業界に参入するにしても、どこかの蔵に入ったり、酒販店に就職したりするのではなく、自分の思う酒造りがしたかったんです。なので将来は独立を考えて、そのためにはまず財務を勉強したいと思い、証券会社に入りました。独立して経営をするには、財務知識が必要になると思ったからです。会社を辞めることに、迷いや不安はありませんでした。

前職の証券会社の経験を活かし、まずは財務面から底上げを

ーー証券会社を選ばれた理由も、日本酒で仕事をする際に必要となるスキルを吸収するためだったんですね。人生設計の中に日本酒が入っているとは驚きでした。

今年酒蔵に入られて実際に変えた部分も、財務部分が大きかったのでしょうか?

加登:最初に手をつけたのは、財務面ですね。それこそ、カラーコピーを白黒にする、昭和から変わっていなかった電話回線を見直すなどの小さなことから、土地代の交渉などを含めて半年間で200~300万円の経費精算を行いました。この削減は、売上を600~800万円を増加するのと同じくらいの効果になります。これは証券会社で実務として行っていたことが、そのまま役立ちました。

20~30代に飲んでもらえるような新しい日本酒を目指して

ーー半年間でそこまで成果をあげられているとは、この先も楽しみです。経費削減の後は、どのようなことに挑戦したいとお考えですか?

加登:新しいブランドをつくりたいと思っています。もっと自分の同世代である20代から30代に飲んでもらいたい。例えば記念日のような特別なシーンに飲んでもらったり、両親や恋人など大切な人への贈りものとして選んでもらったりするようなブランドをつくりたいですね。華やかなひと時を彩れるよう、パッケージにもこだわり、いままでの日本酒のラベルによくある太字の筆文字ではなく、もっと柔らかくて、しなやかなデザインを考えています。

また、置いていただける飲食店も厳選して、お酒のおいしさはもとより飲んでいただく時雰囲気も含めてシーンごと楽しんでいただきたいですね。

ーー加登さんがつくる天領盃酒造の新時代の幕開けですね、楽しみです!

まずは知ってもらえるきっかけをつくりたい

ーー実際に、新時代の幕開けとして最近始められたことはありますか?

加登:「夜の酒蔵見学」です。参加してくださる方にペンライトをお渡しして、照明なしで酒蔵を回ってもらうというイベントですこれは、連休を利用して佐渡を訪れてくれたお客さまから「佐渡って夜は遊ぶところないですよね」という声を聞いて、翌日からすぐに始めました。もちろん、見学した後はお酒も楽しんでもらいます。

ーー夜の酒蔵見学なんて、初めて聞きました。イベントの内容も、スピード感もすばらしいですね。

加登:そうですね、例えば冬になると佐渡は雪が降るので、かまくらをつくってその中で日本酒を楽しんでもらったり、全員本気の大雪合戦をしたり、クリスマスパーティを酒蔵でしたり、いろいろなことができると思っています。

知っていただけるきっかけは、日本酒でなくてもいいんです。もっとこの業界は馬鹿になってもいいと思っているんですよね。面白いことをどんどん企画するので、天領盃の敷地を使って一緒に楽しんでほしいです。

ーー今までに絶対なかった日本酒の企画ですね。いろいろな企画、楽しみにしています!

こんな若者でも頑張ってるんだ、と勇気を与えられる存在に

最後に、日本酒をたしなむ女性たちに、伝えたいことやメッセージをお願いします。

加登:天領盃はスタートアップ企業だと思っています。

お金も知識も経験もない。あるのは覚悟と勢いだけ。やっと立つことができたこの場所で、そのための努力は惜しまないつもりです。

設備が古くても、経験がなくても、できることはなんでも挑戦していきます。みなさんにもっと日本酒を好きになってもらえるように、天領盃という蔵があるんだと知ってもらえるように。こんな若者でも必死に頑張ってるんだ、と勇気を与えられるような存在であるように。

僕たちが天領盃がいまある日本酒の壁やイメージをいい意味で壊していけたらと思っているので楽しそう、面白そうと思ってもらえたらぜひ、一緒に楽しんでいただけるとうれしいですね。

ーー他業種からの参入、25歳の最年少でのM&Aなど驚かされる肩書をお持ちの加登さんですが、「面白いことをやりたい」と笑う顔はまるで少年のようでした。これから冬にかけて、大雪合戦やかまくら、クリスマスパーティと沢山のイベントが企画されるので、その情報もぜひチェックしていきたいですね。加登さんのつくる新しい日本酒の文化がこれからとても楽しみです。本日はありがとうございました。

企画協力

天領盃酒造株式会社

住所:〒952-0028  新潟県佐渡市加茂歌代458
電話番号: 0259-23-2111
https://tenryohai.co.jp/
インタビュー:加登仙一 https://twitter.com/tenryohai_kato

企画・執筆

企画:酒小町
場所提供:未来日本酒店
聞き手:卯月りん、池田ごま、Onodera Ami
テキスト:卯月りん
編集:金子摩耶
撮影:福ちゃん

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